「夢」はかなわない


あなたの夢は何であろうか?
たぶん、それはかなわないだろう。
究極の目標を「夢」と考えているからだ。


書店には、「夢」という名の付いた手帳法本、
「夢」という名の付いた勉強法本が溢れているにもかかわらず、
新年度、早々、何、縁起悪いこと言うのだ、
と思うかもしれない。


もう少し、読み進めてほしい。


何年か前、友人・S君から葉書が届いた。


私はそれを読んで驚愕した。
こう書いてあったからだ。


「<念願>かなって、ニュージャージーへ……」、「!」


「これだ!」と思った。


「念願」なのだ。「夢」ではないのだ。


「夢」だと考えたとき、あなたは努力の一歩をすぐに踏み出す
だろうか?
踏み出さないであろう。
遠いものだと考えて、頭の片隅に置いておくだけではないだろうか?
10年はアッという間に過ぎてしまうだろう。
頭の片隅にも置いておけない人もいるかもしれない。


これからは「夢」を「念願」と呼ぼう!
一歩でも踏み出せば、こちらのものである。
「始めればできる」のである。(1)


   書く作業でもっとも難しいのは、「始めること」だ。イナーシャ
  (慣性)が大きいのである。構えてしまう。重要な仕事ほど、構える。
  「まだアイディアが熟していない」、「いまは身体の調子がよくな
  い」、「雑事を片付けてから」等々のいいわけを自分で作って、着
  手できない。
      (中略)
  取掛かりを作っておきさえすれば、後は、それを修正し、改良する
  ことで、徐々に成長する。こうして、仕事に関して「現役になれる」
  のである。この段階を突破しさえすれば、仕事はいつかは完成する。


S君のように、「夢」を、――失敬!(私が間違えてどうする!)――
「念願」をかなえよう!!


 (1)野口悠紀雄:『「超」整理法』、中公新書、1993年。


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