『やっときますから問題』〜格好良くなって


ある日、私は、部下に、
「この書類を書きたいから、資料を集めといて」
と、言った。
「作業指示書ですか? 『やっときましょうか』?」


(わっ、出始めた!)


また、仕事の途中で内容確認したいため、部下に、
「あれ、どうなった?」
と聞いた。
「大丈夫です! 大丈夫です! 『やっときますから』!」


(出た、『やっときますから』問題!)


私は、これに困っている。
全然、大丈夫ではない。
できないなら、そう言ってほしい。
時間がかかるなら、そう相談してほしい。
人手が必要なら、その旨、伝えてほしい。


この状態で人に仕事を任せた場合、
仕事は完成してはいるのだが、
最終的に予想に反する出来となっていることがあるのである。
完成してしまったため、
時間的にも、金銭的にも、やり直す余裕がないことが多い。
私は、これを、<やっときますから問題>と名付けている。


グラフィック・デザイン出身の私には、以前から悩みがあった。 
「アート・ディレクターは、どこまで格好良くなってよいか?」
ということだ。
ここで言う「格好良い」とは、単にルックスが良いということではない。
人が醸し出す雰囲気・声のトーン・話す内容などの得点を合計した総合点
が高いということだ。
この総合点が高いと、まわりが動いてくれ過ぎる。
そして、<やっときますから問題>が起こる。


告白すれば、私は、卒論に《アート・ディレクション論》を書いたのだ。
しかし、「アート・ディレクターは、どこまで格好良くなってよいか?」
という課題――これが解決されないと、 <やっときますから問題>が起きる――を、論点として取り上げなかった。
論文を仕上げるまでに解決できそうもなかったからだ。


この課題で、17年間も、悩んでいる。
これは、私のテーマでもある。


格好良さが足りないと、まわりは動いてくれなさ過ぎる。
しかし、格好良過ぎると、まわりは動いてくれ過ぎる。
私の悩みは尽きない。


最近、私に、一筋の光明が差した。
それは、NHK総合で放送された『プロフェッショナル』という番組
(2006年6月29日、午後10時放送)である。
番組中、司会者の茂木健一郎氏(脳科学者)は、
『部下とのコミュニケーション術』に言及して、
「(部下と)『常時接続』で『対等』。これが理想!」
と総括した。


しかし、まだ、<やっときますから問題>――「アート・ディレクターは、
どこまで格好良くなってよいか?」を含む――は、
解決したわけではない。
「常時接続で、対等」。これをどう広げていくかが、課題だ。


ここで意見を求めたい。
あなたなら、
この「常時接続で、対等」を、どのように発展させていくだろうか?
どうけりをつけるのだろうか?


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